タイムリープについて

 原作のタイムリープについてはよく知らないので比較は出来ないのですが、タイムスリップとして言及すべきものとして、タイムリープについて考えます。真琴のタイムリープは全力で駆けて飛び上がる事によって時間を移動します。つまり他の時間に向かっていくってことに意味があるわけですな。真琴の人生は時間をさかのぼっても、一本につながっています、そこを強調する意味があるのでしょう。7月14日の中で真琴の人生は転機を迎えます、その一日の中で駆け抜けた真琴の体験に見ている側は深く引き込まれます。それはこの一日の中で真琴はカラオケでのコミカルな使い方や高瀬にトラブルを押しつけた事も含めて時間が戻ろうと前に進み続けた真琴の有り様に共感するのです。引き出しの中に入ったり念じるだけでは映画を見た後の心を吹き抜ける風は駆け抜けた風は吹かないということなのです。
 ちなみにタイムリープについてはSF考証はあらかじめ深く考えないでくださいというメッセージがあります。天ぷらを変わるだけで同じ結末を迎えた高瀬のトラブルは「そういうものなのだ」ってことなんでしょうな。